barf it all up
久々です
ずいぶん経ってしまいましたが、TDW'07にお越しいただいた皆様、及びご協力いただきました関係各位に心より御礼申し上げます。おかげさまでおおよそですが、3,000人を超す人々にご観覧いただき、好評のうちに無事終了することができました。
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さて、ここからはいつもの調子で。
唐突だが最近「プリミティブ」であることを意識的に大事にしたいなぁ、と思ったりする。というのも、あくまで個人的な稼業の範囲内での話だが、これまた唐突に「面白い」という単語に違和感を感じたからだ。最近外人さんと話をする機会が多かったものだから、俺の中の「英語脳」が活性化されたのもあるんだろう。
「面白い」という単語とそのニュアンスは、実は日本語独特のものだ。辞書で引くとおそらく真っ先に「interest(ing)」と出てくるだろうが、今度はその「interest(ing)」を和英で引くと「興味(深い)」となる。「面白い」と「興味深い」。おなじ「interest」でも随分ニュアンスが変わる。前者はより感情的なのに対して、後者はやや理性的だ。んで、帰国子女の経験上「interest」はどちらかと言うと後者寄りのニュアンスで使われる。
少なくともアートの世界では「面白い=楽しい」ではない(つまりfunnyやentertainingとも一致しない)。状況に応じて「面白い」の内実は変わる。「喜怒哀楽」の全てを表しうる。曖昧で便利で、極めて「日本語的」な言葉だ。
今の仕事から思うのだが、大学ではこの「面白い」が飛び交う。学生は自分の作品の何が「面白い」のかをアピールするし、先生もどうすればより「面白く」なるかを伝える。ただしこの便利な言葉が、その便利さゆえに感情や本性の「フィルター」として作用しているのではないか、と思ったりもする。つまり「面白い」の一言さえ得られれば、それで満たされてしまうかの様な感覚があるのではないか、と。
色んな感情や本性を一括りにできてしまうその便利な言葉の段階で留まっていては「面白く」ない。その言葉を突き抜けた先に混沌とした何か、それこそ「プリミティブ」な感動があるんじゃないかと思う。
人のことはどうこう言えない。俺もさんざんその言葉を使って色々なモノを言い表してきたし、今後も安易に「面白い」の一言で物事をくくってしまうこともあるだろう。ただせっかくそんな気がしたので、せめて自分が作品を作る時は意識的に「面白い」の先にあるものが伝わる様に。それは「面白い」の一言ではくくれない作品であってほしい。
理性的でいることは、たとえアートの分野の中でも大事だが、一方で感情や本性のカタルシス無くして表現の強度と粘度は保てない。少なくとも俺はそのバランスを意識的に舵取りしたいと思う。
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News -
ホームページを作り直した。ひとつ前のがあまり好評でなかったもんで。やっぱりアナログテイストはあった方がいいな。最近いっそう筆ペンが好きになった。よろしく(右の"PENESTRATORIUM"からトベます)。