PENESTRATORIUM REPORTS
tokyo designer's week 07
苦労した分、それが報われた時ほど幸せなことは無い
(始まるのはこれからなので過去形にするのは本当は良くないが、明らかな手応えがあるので、敢えてそう言い切ってしまう)
同期の莇貴彦、大学院の後輩の渡辺浩彰、米みつみきと共同で東京デザイナーズウィークのコンテナ展に出品する。テーマは一言で言うと「掘るという行為を掘り当てる」だ。コンテナにいっぱいのシュレッダーにかけられた新聞紙にくりぬかれた洞窟を掘り進む体験型のアート作品。薄暗いピーナッツ型の空間に浮かび上がる「新聞紙の断片」はむしろ苔むした植物の様に見え、そこに座るとどういうわけか落ち着く。ひょっとすると「原始の記憶」の様なものが揺さぶられるのかもしれない。
東京デザイナーズウィーク、国内で開催される「デザインの祭典」の代表格。その直中で「アート」を表す。快感ですよ、これは。
「ショールーム→ショールーム→洞窟→ショールーム」
明らかに異質。明らかな異物。アウトサイダーであることの快感。
天候にも恵まれ、設営初日にしてほぼ設置完了。現場の他のスタッフや業者さんも目を丸くして興味津々に覗き込んでいた。そりゃそうですよ、自分で言うのもなんだが完全に予想外だっただろうから。
10/31〜11/4 が開催期間です
お時間のある方は是非
(1,2,3,4日はおそらく僕も居るので、連絡くれれば少なくともディスカウントは渡せます)
ではでは
crossover
Andrew WeatherallのCD<The Bullet Catchers Apprentice>を購入。
アンディーの音源を買うのは久しぶりだな。一時期Two Lone SwordsmenやSabers of Paradiceにハマってたが。UKのアングラシーンでは絶大な信頼感を誇る・・・などなど音楽誌、ライナーやフライヤーで謳われているがその真偽、程度のところは実は定かでない。そのテの謳い文句が氾濫していることもあるんだろう。キャリアの長い大御所系だがパンク、ダブ、エレクトロ、ディスコあたりを刺激的にブレンドするのが彼流だ。
UKに限らず、アングラミュージックシーンで「クロスオーバー」という単語のもとに高い評価を受けている人は多い。実際アングラミュージシャンのほとんどは、たとえそれが「理想」に過ぎないとしても、限りなく自由な一個人だ。だからこそ彼らのフットワークは軽いし、そもそもあるのかないのかもよくわからない「ジャンルの壁」とやらも越えていく。
そういった人達のインタビュー記事を見ていると案の定、誰一人として自らのことを「○○ミュージシャン」とは呼ばない。せいぜい口にするのは「○○から影響を受けた」どまりだ。彼らにしてみれば意識されるべきは「ジャンルの壁」ではなく、「己とその外の間の壁」ってところなんだろう。
とまぁツラツラと書いてきたのも、自分に振り返った時にインタラクティブアートだの、メディアアートだの、インスタレーションだの、言わば現代アートにおけるジャンルとその住み分けの様なモノをうっとうしく感じるからだ。海外ではどうなのかよくわからないが、少なくともここ日本では、アカデミズムと仲の良い分野だけにより堅牢な「壁」の存在を感じとれる。さらに文部省も「メディア芸術」なんて言いながら介入してくるもんだから、「壁」はさらに厚みを増す(<文化庁メディア芸術祭>に出品するときに、例えば「インタラクティブ部門」と「インスタレーション部門」のどちらに入れるか迷い、どちらかしかないことを憾んだ人は俺だけじゃないはずだ)。今、日夏露彦の「日本美術・負の現在」を読んでいるからそれに感化されている部分も正直あるとは思うが、理想とはいえ「自由」を望んで進んだ世界に不自由と閉塞感を感じることは否定できない。
とはいえ、アカデミズムや行政といった「権威」と対立して活動しても、「明日のメシ」に繋がらないのも厳然たる事実。アングラミュージックシーンの様な「アングラ」のための土壌は、ここ日本には無いに等しい。「とりあえず名を売る」ためにNHKに出て、ある程度売れたら舞台専門となった我らが先輩、「ラーメンズ」の選択はある意味で正しいし、賢いと言える。でもそれで本当にいいのか?
皮相にして悲壮なる国、ニッポン
この世界で生きると決めた者は皆、この点を考える必要がある。
その上で腹を決めないことには、より強い自由(あるいは不自由)に圧殺されてしまうだろう。
俺、どうしよう。
24
最近深夜に「24」やってる。
大して興味は無かったが、たまたま映っていたので見てみたが最後、もうノンストップ。よく知られている様に、あのドラマの売りは「リアルタイム」であること。正直そこはどうでもいいんだけど、キャラクターたちの「気分の切り替えの早さ」にヤラれた。家族や仲間が死んでも次の回(=約1時間後)には何事も無かったかの様に平然とお務めしてらっしゃる。おまけにみんな超優秀。仕事早い。対応力もハンパじゃない。まさに「多チャンネル人種」。若干ファジィ(死語)なターミネーター。
副手という仕事にこのドラマほどの切迫感は当然無いが、時折理不尽なくらい色々な対応に追われることがある。そんな時ほど、なぜか「とりあえず一服」が増える。フーと煙を吐き出すたびに、「オレにCTUは無理だよ、ジャック」と勝手にヘコんだりしてる。相方と一緒に電動ガンの1つでも買いにいって、何かあったらとりあえずぶっ放してみるかとも思ったが、多分誰も近寄らなくなるのでやめとこう。
特に何が言いたかったわけじゃないが、とりあえず「24」がヒットしたのはキャラクターたちが世間のワーカホリック達のヒーローだからだ。みんながああだったら、この国は凄まじいことになってるだろうな。
あ、始まっちゃった。
んじゃ。